べたぶろぐ

雑記の雑記

12/6【#19 ヒネクレモノ】

僕は昔から変わってるとよく言われる。

 

学校の先生にも、友達にも。親にも言われる。

 

でも僕自身その自覚はない。

僕は僕なりに普通なのだ。

 

普通に思った事を言い、思った事をする。

それが一言で変わり者と片付けられるのはどうなのだろうか。

僕からすれば他の人の方が変わり者だ。

 

と、高校生くらいまでは思っていた。

 

まぁ、大人になるにつれ分かる。

いわゆる一般社会の人たちから見れば、少し変わっているのだろう。

 

ただ、自分でも自覚していることもある。

それは僕が「ひねくれ者」だという事だ。

 

一つの物事に対して正解があったとしても、絶対に疑いにかかる。

「本当にそうか?」「嘘なんじゃないの?」「他の答えもあるんじゃ?」

といった風に。

 

これは僕の中では当たり前の考え方なのだ。

当たり前を疑って、他のやり方・見方を考える。

我ながら素晴らしいと思う。

 

そもそも世の中の常とされるものを「常」と思い込む事自体がナンセンスだ。

その裏に、その先に、その本当の意味に目を向ける。

 

じゃないと面白くない。

こんな性格が故に、僕は変わり者扱いをされるのだろう。

 

ただ、時としてこの性格はタチの悪い奴にもなりうる。

 

今の若い世代ならほとんどの人が知っているであろう「しいたけ占い」というものがある。

僕も占いや診断は割と好きなので、たまにチェックしている。

自分に都合のいいところ以外は見ないふりをするけど。

 

そういうものに対して信じ込むのも別に悪くないと思っている。

話のネタにもなるし、盛り上がれて面白い。実際にこういうのが好きな人と話すのも好きだ。

 

ただ、SNSの全く知らない人たちが

「本当に神です。」「恐ろしいほど当たっていました。」

などと言っているのを見てしまうと「アホかお前ら」と思ってしまうのだ。

 

見なきゃいいのはわかっている。

僕も出来るだけそうしているのだが、ごく稀に出てくるのだ。

 

そして今日Twitterのタイムラインに「しいたけ占い」が出てきてしまった。

 

なんて心のない人なのだろう。

僕はそのアカウントに沢山寄せられている称賛のリプの中に

「全て当てはまってしまった僕は何座でしょうか。。。」

とリプを返してしまったのだ。

 

きっと何人か、僕のことを全く知らない人たちは嫌な気持ちになってしまったのかもしれない。

申し訳ない。とは思う。

 

でも心のどこかで喜んでいる自分もいる。

 

基本的に知ってる人に対しては嫌がることをすることは愚か、めちゃくちゃ楽しませてあげたい精神で満ち溢れるのに。だ。

 

こういうのもきっと「ひねくれ者」と呼ばれる所存なのだろう。

 

でも

 

強そうな人をいじったり、

怖いのがダメな人に無理やり怖いものを見せ、怖がる顔を見る。

 

これだけは、これからもやめられないだろうなぁ。。。

 

 

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